<真田幸村 名前(読み方)> 真田幸村(さなだゆきむら) 真田信繁(さなだのぶしげ) 真田左衛門佐信繁(さなださえもんのすけのぶしげ) 源二郎(げんじろう) 幼名・弁丸(べんまる) <真田幸村 生没年> 永禄10年(1569年)−元和元年(1615年)。47歳。<真田幸村 具足 軍装 遺品> 頭形兜(ずなりかぶと) (真田庵 蔵) 十文字槍穂先 (真田庵 蔵) 水馬の鐙(あぶみ) (真田庵 蔵) 六連銭印陣幕 (真田庵 蔵) 望遠鏡 (真田庵 蔵)<真田幸村の絵 真田幸村の顔 画像><真田幸村 旧跡 施設> 「安居神社 真田幸村戦死跡之碑」 「蓮華定院 真田家墓所」 「長安寺 真田幸村長女すへ墓所」 「真田庵」 「宝円寺 真田幸村男子之親墓」 「竜安寺境内大珠院 真田幸村夫妻・幸村女おかね墓」<真田幸村 解説> 「真田日本一の兵(つわもの)」といわれる。真田昌幸の二男。最も有名な呼び方である「真田幸村」は俗称であり、通常は「真田信繁」。大阪夏の陣にて討死にも、島津家の『山下秘録』、徳川家の『朝野旧聞哀稿』に活躍が記されている。細川忠興の書簡にも「真田左衛門佐 合戦場にて討死 古今にこれなき大手柄・・・」と取り上げられる活躍をした。
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