徳川家の服部半蔵と言えばもうおわかりですね。ハットリくんの墓所が新宿区四ツ谷にあるとのことで、探検することにしました。今日は清正井(「【戦国歴史観光】パワースポット・清正井(加藤清正の井戸 東京都・明治神宮)に行ってみた」)に行って、まだお昼前なので、明治神宮から原宿-(山手線)-代々木-(総武線)-四ツ谷へ。四ツ谷駅を降りたら、新宿方面に歩いて、途中左に入っていくのですが、一本道を間違えて、たい焼き屋さんの前。「わかば」です。行列が出来ています。絶対うまいはず。ランチ前だったので、早速並びました。一個140円。皮がとても薄く、餡がぎっしり。確かなうまさ。ここはもっと注目されていい店です。ってもう有名店かもしれませんよ。ちょっと迷いながらも、到着しました。西念寺。入り口に「新宿区登録有形文化財」の看板が。「服部半蔵の槍」が所蔵されているそうです。残念ながら見ることはできないような感じでした。どんな時に御開帳されるのかは不明。門にはやはり徳川家の家紋があります。服部半蔵の墓がありました。手をあわせました。服部半蔵の墓の裏手あたりに、岡崎三郎信康の供養塔がありました。--新宿区指定 史跡 服部半蔵の墓定 史跡 服部半蔵の墓 所在地 若葉2−9 西念寺公開状況 公開(日中のみ)所有者 西念寺指定・登録日 昭和59年7月6日概要 伊賀者の頭領。「槍の半蔵」の異名を持ち、晩年出家して西念寺を開く。http://www.regasu-shinjuku.or.jp/shinjuku-rekihaku/public_html/shozoshiryo/b10_shiseki/bunka_090.html--新宿区登録 有形文化財(歴史資料) 服部半蔵の槍 所在地 若葉2−9 西念寺公開状況 通常は非公開所有者 西念寺指定・登録日 昭和63年3月4日概要 半蔵が三方ヶ原の戦いの戦功により、徳川家康から与えられたと伝えられる。http://www.regasu-shinjuku.or.jp/shinjuku-rekihaku/public_html/shozoshiryo/b06_rekishi/bunka_056.html--wikipedia西念寺(さいねんじ)は東京都新宿区若葉2丁目に所在する浄土宗の寺院・専称山安養院西念寺である。徳川家康の譜代家臣で徳川十六神将に数えられる服部半蔵正成が開基した寺として知られる。同寺院は、服部氏菩提寺であり、正成をはじめ服部一族の墳墓が存在する。また、服部正成が守役を務めた徳川家康の長男・信康のために彼が建てたとされる供養塔が現存している。西念寺の所在する若葉2丁目地域は、JR中央線四谷駅から、新宿通り(甲州街道)沿いに約300m西進すると同通りの左手一帯の閑静な住宅街であるが、江戸時代には伊賀町と呼ばれ徳川家に仕えた伊賀衆の組屋敷があった。同寺開基の服部正成はこの伊賀同心200人・与力30騎からなる伊賀衆の組頭であったとされる。また、同寺から新宿通りを逆に都心方向に東上すると服部正成にちなみ命名されたという、旧江戸城(現皇居)半蔵門に達する。西念寺は徳川氏が江戸に入封してまもない1594年(文禄2年)に服部正成が江戸麹町の清水谷(現在の新宿区紀尾井町清水谷公園付近)にその前身である庵(安養院)を創建したことに始まる。正成はかつて非業の死を遂げた信康の慰霊ために、出家入道して西念と号し安養院に供養塔を建てて菩提を弔いつつ余生を過ごした。そして1596年(慶長元年)の死後には法名・専称院殿安譽西念大禅定門と追号されて同庵に葬られた。その後、安養院は周辺に江戸城拡張工事が及んだために、1634年(寛永11年)頃に現在地に移転、寺院として新築されたとする[1]。現在の西念寺の山号・寺名は彼の法名に因む。史跡・指定文化財松平(徳川)信康供養塔:新宿区指定史跡。現在の本堂の裏手の脇にあり、「清滝寺殿前三州達岩善通大居士」の刻銘のある大きな五輪塔(石塔)。服部半蔵正成墓:新宿区指定史跡。同寺墓地入口すぐ左手にある大きな宝篋印塔(石塔)。「服部半蔵の墓」の立て札と説明板が設置されている。服部半蔵の持槍:同寺には「槍の半蔵」と異名された服部正成が浜松城で家康より拝領したと伝わる槍を寺宝として所蔵している。現在、新宿区登録文化財に指定されているこの槍はかつて一間半(約2.6m)程あったというが、現在は欠けて短くなっている。--より大きな地図で 日本の城郭 を表示
サムライジャーナル SAMURAI GO GO : 22:36 | 【戦国歴史・パワースポット観光】 | |