MHK 松本人志のコント MHK 感想 面白くないという批評家と無理に評価する人人、そして志村けんの志村軒。
MHK 松本人志のコント MHK 感想 面白くないという批評家と無理に評価する人人、そして志村けんの志村軒。 その日は夕方ちょい前からBSプレミアムでの8時間番組「松本人志文化祭」があった。録画したけどまだ全部見ていない。 今の世の中に、松本人志さんのコント番組に需要があるのかどうかが最初の焦点だった。 ここ数年、コメディアンが多く出ているTV番組でも、ショートコントや漫才、フリートークで視聴者は満足してきた。M-1やR-1、キングオブコントなどで見るコント形式の笑いはセットを組んだりするものではなく、マイムで表現するのが殆んど。また、それに出る方々はコントや漫才を主戦場といっていいほど経験しているわけで、そこで優勝する人と、コントからずいぶん遠ざかったダウンタウンがコントで同じ土俵に立つのは無理があるというもの。正確には同じ土俵じゃなくて、ちゃんと冠番組+ある程度しっかりしたコント用のセットが用意されいているので、見る側に変なハードルが上がってる。 あと、同じ土俵というのは、客層まで同じ土俵に立つのはさらに分が悪い。若手芸人に夢中になっているファンの多くは小学生~高校生まで。それ以降は、それぞれが小学生~高校生時代に夢中だったタレントを追いかけている、またはそのタレントを絶対的な面白さの基準としてそれよりも低い評価で比較したがる。松本人志さん・ダウンタウンを夢中に見た世代はもう小学生~高校生の子供を持つ世代であり、彼らの子供たちはダウンタウンがコントをやっている姿を殆んど知らないと言っていい。 昭和のお笑いブームの頃、私はツービートに夢中だったけども、親が喜んでいた、ベテラン芸人のやすしきよし、てんやわんや、大瀬しのぶあたりは無反応だった。これと同じというとおかしいけども、若い世代が松本人志さん・ダウンタウンの笑いを理解出来ないのは仕方がないというもの。 いったん別の話。もう何年も前から不思議な番組がある。夜中にふとTVをザッピングしていると、志村けんさんのコント番組がやっているのだ。しかも、しっかりしたセットを組んで、出演者もダチョウ倶楽部、優香、ハリセンボンなどの布陣でだ。しょっちゅう番組タイトルが変わっているようで、いまは「志村軒」だそう。「志村けんのだいじょうぶだぁ」や「バカ殿」「ドリフ大爆笑」「Detective Story(加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ)」のようなコントで、目新しさは無いが安定感があって、見ていて飽きない。もちろん、みなくてもいい感じもするのでわざわざはみない。 毛色は違うが、吉本新喜劇のTV放送にはちょっと新鮮さがある。関東の人間のせいかもしれないが、全国放送での佇まいと違って舞台で人気者として頑張っている多くのお笑い芸人に驚かされる。ああ、この人はM-1とかバラエティ番組ではそんなでもなかったけど、舞台では盛り上がるキャラクターなんだな、って。 松本人志さんが行くコント番組のつくりとしては、「志村軒」の志村けんさんのように、「ああ、松本人志といったらこれだよね」なコントを積み重ねていくだけでよいのではないか。これ、というのはいままでやってきた定番コントであり、加えて彼独自の視点での新機軸な実験コントでありということ。そして、今回は全5回だそうだけども、場所や時間帯、チャンネルを変えてでもコントを作り続けていくのが良いのではないかと思う。 ちょっとだけ今回の番組の感想をいうと、ああ、これが松本人志さんのコントなんだな、という安心感があった。全体的には、爆笑させるのではなく、ふふんと言わせるタイプの笑いだと思う。 私は、松本人志さんは「ガキの使いやあらへんで」の立ち話と、「人志松本のすべらない話」以降のイメージしかなく、コントのイメージがなかったため、入り込みにくかったのは正直なところです。 今後も彼の活躍は期待していますし、十数年後にはビートたけしさん、タモリさん、志村けんさんのような大御所になっていって欲しいと思います。 エントリータイトルをつけた時は、視聴率の低さで「彼はもう終わった」「まったく笑えなかった」という批判や、それに対する「彼の笑いを理解出来ないヤツはレベルが低い」というような意見のそれぞれに不快感を感じて書き始めようと思ったのですが、ふわふわした感想文になりました。 |